筆者について
名前:KDライター
2011年に中小企業で設計職に就職し、丸3年勤めた会社を辞め、大手企業への転職に成功。現在は、大手企業で設計職をやっています。今では中小企業の課長レベルの給料を30歳で稼いでいます。
このサイトで伝えていきたいこと
このサイトでは、設計職に就きたいエンジニアの技術者の方に、大手企業で設計職として働くことをオススメしています。その理由は次の3つです。
- 教育がしっかりしている。
- 周囲の技術力が高く、自己の成長が見込める。
- 関係部門が多く、取りまとめる能力が身につく。
これはあくまでもKD産業の価値観ですが、元々中小企業にいたからこそそう思えるのだと考えています。このサイトで体験談を交えてお伝えしていければと思います。
ここまで読んで、
「大手企業の設計職への転職なんて、院卒で学歴なきゃ無理だろ・・・」
と思った方。諦めないでください。KD産業は学卒ですし、学歴も日東駒専レベルです。そんなKD産業でも、大手企業に転職し、業績評価・ボーナス査定はAランクをキープし続けています。
あなたが戦えるフィールドは必ずあります。ただ、そのためには、「学歴」や「年収」という、あなたがかけているその色眼鏡を外していく必要があります。この色眼鏡は、勝手に作り上げた妄想の世界で、現実ではないのです。
KD産業は、このサイトを通して、あなたの色眼鏡を外すし、転職の成功に向けたお手伝いをしていきたいと思います。
生い立ち・経歴
生い立ち・経歴を紹介するかどうか迷いましたが、育ちがイイから転職できるんでしょ?学歴があるから転職できるんでしょ?という疑問の解決になればと思い、紹介していきたいと思います。
小学生時代
東北出身で外で駆け回るのが大好きな子供で、いつも新しい遊びを作っては、近くの子供たちを集めて試していました。とても楽しかったです。
そんな、子供時代は楽しいことばかりでもなく、パチンコ中毒の父親とヒステリーな母親に育てられました。父親は、パチンコ中毒のせいで、父親はKD産業の誕生日すら帰ってこず、それが何年も続きました。そんな父親に母親のヒステリーは過激になり、しつけの時は必ず叱責や暴力(ビンタ)、締め出し等をされていました。
そのトラウマのせいか、手を挙げられると身構えてしまったり、大きな音にすぐ驚いたりする時期が長く続きました。
それでも、周囲の友達に恵まれたこともあり、外で遊ぶときは楽しく過ごしていました。
中学時代
中1で親が離婚します。この時が、人生の中で1番底辺だったと思います。普段は集まらない家族4人(妹が一人います。)での家族会議が開催され、どちらについていくかという話し合いになります。
この時のことは、頭の中が真っ白であまり覚えていないのですが、父親に対して「お前は悪魔だ!」と泣きながら発言をしたことを記憶しています。ヤバいですね。中1がそんなことを全力でいう状況って。自分が体験したことだとは今でも思えないです。それに対して父親も「悪魔でもなんでもいい。」と開き直っていていました。生き地獄とはこの事かもしれませんね。
そして、母親に引き取られ、祖父祖母のいる東京へ行きます。
東京の学校へ転校したKD産業は、転校先で衝撃を受けます。「何でみんな頭がいいんだ?!」と。これでも、転校前の中学では成績上位にいたのですが、成績を下から数えた方が早い状態になったのです。
焦ったKD産業は人生の中で一番頑張ったんじゃないかという程勉強し、成績上位組に食い込みました。理科で100点を取る!と母親に宣言し、それをやってのけられたのはボロボロになった成長期の心に自尊心の形成を助けたのではないかと思っています。
高校時代
中学時代の成績が上位だったこともあり、都内の進学校に入学します。とても楽しい高校時代でしたが、部活1年でやめ成績は下位に転落します。
中学時代に行っていた塾で進学できたことから、塾長に「お前は辞めないで高校の勉強もここでやるべきだ。」と言われ、とりあえず通うのですがモチベーションが無い。
塾長による目的の無い学歴刷り込みにより、どんどん学歴に対する妄想だけが膨らみ、実力は伸びない。そのうち、部活もやめろと言われ、部活をやめ、それでもやる気が起きない。そのうち、塾長は方針転換します。「こいつはダメだ、カモにしよう」と。もちろん、そんなことは言っていないのですが、「友達を勧誘してくれば、月謝を安くする。」「紹介すればバックを支払う。」等という発言が多くなります。学業を塾に学びに行っているのに、勧誘のために学生を使うような発言はすべきではないと思います。
しかし、当時のKD産業そして母親は塾長の口車に乗せられ、膨らんだ学歴妄想によるプライドも消せないまま受験へ。そして、結局滑り止めすら受けず、1校も受かりませんでした。
この時は、中学ほどではないものの、どん底に落ちるわけです。しかし、それでも消えないんですね、学歴妄想による根拠のないプライドは。自分をガチガチに固めたプライドの鎧は、ある意味恐怖に縛られ脱げなくなるのです。
浪人時代
どん底に落ちたKD産業に、河合塾の医学部浪人コースの案内が届きます。これはもはや悪魔のささやきでした。昔受けた模試(高1の最初?)の成績がたまたま良かったことが理由らしく、まんまとプライドをくすぐられ、入っていた塾をやめ、河合塾に入ります。医学部コースって特殊で、基礎以上の内容が多く、かつ論文対策や医療倫理等を学ぶのです。基礎学力もない人間が余計な勉強をする。そう、成長するわけもなく停滞するわけですね。
そんな感じで、やる気もなくなり友達とラウンドワンに行く始末。そして、秋に受けたセンター試験模試を受け、基礎学力が無いという現実に気付きます。さすがにセンター試験1ヶ月半前で焦ったのです。もはや、手遅れ過ぎた想い集中と選択をし、数学・物理に絞って勉強しました。
1から学びなおし、自習室に1ヶ月半程度こもります。そして、最後のセンター模試で、数学の偏差値が58程度、物理の偏差値が65程度まで上がります。
なんとか、戦える教科を作り、センター試験を受け、物理95点、数学80点と2教科のみ高得点をたたき出すものの、他は50点以下。そして、日東駒専レベルの大学へ入学します。
大学時代
日東駒専レベルの大学と馬鹿にしていたものの、周りは現役がゆえの活き活きした雰囲気や付属校の成績トップ勢があつまっていたこともあり、自分と違うものを持っている人たちと出会います。
そして、浪人時代に得意になった基礎物理学の授業では成績が掲示されたのですが、この教科でほぼ満点を取り、学年1位を取ります。これによりかなり目立ったことで、友人が増えます。
しかし、どんなに成績が良くても、なぜか自分と友人との間には何か追いつけないものがある、とこの時代はこの理由を考えていました。
追いつけない何かを持っている友人と交友するものの、大学時代はそれに気付けませんでした。
大学生活はお金もなく家賃29000円のアパートで、洗濯物のカビと戦いながらも、とても楽しく刺激的?な日々を送っていました。
この時初めて海外に行きました。友人の誘いを二つ返事で回答し、お金は引越しのバイト掛け持ちで月30万円を手取りで稼ぎ、ドイツ旅行に2週間行きます。この経験がKD産業の世界観を180度変えるきっかけになりました。
それでも、追いつけない何かに対するものを理解できず、それがついに違和感に変わります。
それは就職活動。
いざ就活になって動き出すと、あっという間に周りは大企業に内定。自分は4月まで決まらず。
この頃は、ずっと「なぜ自分より優秀でない人間がいい会社にいくのか?」という違和感を抱いていました。
今ならわかります。
求められる能力が不足していた、ただそれだけです。要約すると、以下2点が不足していました。
・ロジカルコミュニケーション力不足(論理的説明能力)
・問題解決能力
あくまでも、理系で勉強をある程度やっていた人であれば、論理的思考力=ロジカルシンキング力は身についています。上の2点とは別の力だと考えてください。
詳細は以下記事を参照ください。
転職組に求められる能力とは?(作成中)
話を戻すと、5月になって一気に4社決まります。業界と希望職種を絞り始めた頃から少しずつ前に進み始め、この時期に実を結んだのです。この時上手く行ったのは発言に一貫性が出ていたから、だと思います。具体的には、完成品メーカーではなく、部品メーカー希望とし、設計や開発に携わりたいと方向づけしていました。部品メーカーの選定理由は、製品を1から10まで知れること。設計開発の希望理由は、学生時代に機械工学を学び、製品設計開発がとてもしっくりきたから。あまり長続きしないKD産業の性格上、違和感を感じるような仕事は長続きしないと思った訳です。
あなたの説明大丈夫?!一貫性つじつまの大切さを解説。
そして、4社のうち1社が大手、3社が中小という状況の中で、うち一社は確実に設計開発をやらせてくれるという条件だったので入社しました。
社会人3年目まで
最初に入った会社は、とても、良い会社でした。みんな優しかったですし、残業もやっても30時間、無借金経営でボーナスも大手ほどじゃないですが、それなりに多くもらえる。加えて事業部長に好かれ、設計のエースなんて囃し立ててくれたり(優しさです笑)、2年目から新製品開発をやらせてくれました。加えて、会社にフットサルコートなんかもあってほぼ毎日昼休みにフットサルをやっていました。充実していました。
え、なんでやめたのよ?!もったいない!
と思われるでしょう。転職した理由は2つあります。
転職理由①:ステップアップのため
設計検証はほぼ行わず、基本はトライアンドエラーで製品ブラッシュアップ。DR(デザインレビュー)はほとんどなされない。ここにいては成長できないという気持ちが増幅し、どんどんフラストレーションが溜まっていきました。
転職理由②:グレーなコンプライアンスにうんざり
会社としては、コンプライアンス違反するような風土はなかったのですが、私の部署いえ私の上司がコンプライアンス的にグレーでした。性能低下を招く設計変更を上司が申し入れをしない、そんな状況でKD産業は再三にわたって申し入れの依頼をしたのですが、結局申し入れずに勝手に設変しまったのです。そして、転職後数年経過して、数億レベルの訴訟を起こされ大問題となったそうです。(久しぶりに会った同僚から聞いた話です。)
詳細は以下の記事で紹介しておきます。
https://koihige.com/2018/11/17/graycompliance/
2つの理由から3年目で転職を決意。3年目の10月頃から転職エージェント会社に登録します。
この時登録したのは2社で、1社はリクナビネクスト。もう1社はメイテックネクスト。メーカーへの転職はこの2社で十分網羅できると思います。
リクナビネクストはわかるけど、メイテックネクストって必要なの?
と思われる方もいると思います。 KD産業がメイテックネクストをいいなと思ったのは、技術系転職特化であることに加え、担当者が熱心で優秀だった点。色々と相談にのってもらいましたね。
転職サイトと転職エージェントにどちらに登録しようかなぁと考えている方は、以下記事を参照ください。
結局、転職サイトで1社応募、転職エージェント2社で計3社ほど紹介してもらい、12月に2社内定をもらいます。結局、転職サイトで応募した1社に行きました。
ちょうどその時期は、ボーナスの支給時期で査定を渡されます。この時に、上司から査定を渡され、そのまま回れ右で辞表とともに返却。そして、「この度、辞めさせて頂くこととしました。」と伝えます。上司は驚いた顔をして理由を聞いたりしてきましたが、「一度、辞表は受け取るが、もう一度面談させてくれ」と言います。さすがに、6月入社で決まっていた(ハネムーンもあったので)ので、面談不要とも言えず、はいわかりましたと回答。
そして二度目の面談で、変わらぬ意志を伝え、引継ぎを行い、退職。
有休消化もあり、最終日は4月。何とも言えない気分で会社を去ります。この時はすがすがしい気持ちと名残惜しさが混ざった感情でした。しかし強い意志を持っていたので、後悔はありません。
社会人8年目現在
今の会社に転職し、最初に驚いたのは教育が充実している点。前の会社ではほとんどなかった技術系教育が豊富にあり、その部署内教育だけでなく、研究所教育も充実。これにはとても感動しました。
また、設計部に所属したことで、優秀な人が多くいるだけでなく、ものすごいスピードでプロジェクトが進んでいる状況に驚きます。そんな中に飛び込み、揉まれに揉まれたことで、問題解決のプロセスや仕事の優先順位などをハイプレッシャーの状況下でも行える力が身に付きました。
また、業務所掌という考え方があり、部署ごとにここまでは自分たちの仕事であるという線引きがなされている点にも驚きました。(今時点では、むしろやることやってないじゃん!と思ったりしますが。)そのような状況ですので、色々な部門の業務を調整する必要があり、調整能力が鍛えられたのもメリットであったと感じています。
そして、やっとボーナス査定でトップを取得しました。(詳細は以下の記事)
とにかく、大切なのは過去の自分より今の自分を好きになる事。
そのために、効率が悪いとか、残業代泥棒とか、プレゼン下手とか、低学歴とか、どんなことを言われても、他社との競争に意識をシフトしないように自分に集中する。
これを意識しながら努力していけば、私のように時間がかかっても力がついていくと思います。
このブログでは、転職体験や私の成功体験や失敗体験の紹介、また、インタビュー記事を紹介していきます。